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zoom RSS 現存する最古のアルプス号自転車!?

<<   作成日時 : 2016/06/03 19:45   >>

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現存する最古のアルプス号自転車!?

東京・神田駅の近くにスポーツサイクル・アルプスというツーリング用スポーツ車を販売しているお店があった。老舗であったが惜しむらく2007年に店を閉じてしまった。

有名なのはクライマーなどであるがこれは80年代からで60年代の後半〜70年代はクイックエースという輪行をしやすくしたツーリング車(後にちょっとばかり流行って輪行車と呼ばれるようになった。)が主力商品であった。もっと前はクラブマン・エース?グリーンキャップというもあったね。
(当時、普通のツーリング用自転車はランドナーとは言わない。ランドナーはルネルスなどを模したフルオーダーの高級車だけのことを言うものとされた)

関係者の苦労の末ようやく当時の国鉄に認められ、汽車に自転車を持ち込めるようになったのは1969年と記憶しているが?
(まだ電車は幹線の一部や大都市周辺が主、蒸気機関車はは急速に減っていたが機関車けん引の客車かディーゼルカーが多い。したがって電車でも汽車と言うのが一般的。
ワープロの出始めのころは「貴社の記者が汽車で帰社した」なんてのもあまり違和感がなかった。
試しに今やったら最初の貴社が記者になっただけであとは一発で正しく変換できた。初期のワープロははたいていの場合すべて汽車になってしまう。

話が戻ってアルプスだが…
遠いので神田の店にはたまに行った位だが、先代の萩原慎一郎さん所有の黒いルネルス(ランドナーではなくツーリズム)が置いてあったのも覚えている。慎一郎さんは業界ではちょっとした有名人で、話すのもドギマギしたなぁ。優しくて親切だったけど。

他にはアルプス・ローバーというキャンピング車も名車であった。

私もアルプスに憧れたことがあり、小学校高学年〜中学1年(1971)頃は雑誌を眺めては、ため息をつき涎を垂らしていた。サイクルスポーツ誌はまだなかったけど、その年に創刊された。
すでにあったのは「ニューサイクリング」と「旅と自転車」という関西で発行されていた雑誌だが殆どの書店には売っていなかった。
チビだったけど、中学に入るころには今と身長は同じくらいにはなっていた。

1972年にようやく念願かなって本格的なサイクリング車を買ってもらえることになった時には、クイックエースはちょっとダサい気もしたし、耳年増というか雑誌などの影響で頭はオタクになっていたので、輪行向きのランドナーをオーダーした。

この自転車はちょっと出来が悪くて後悔した。オーダーは難しいものでかなりのマニアでも失敗することが多いが、この時は注文者の側より製作者の側の問題で。ちなみにトーエイ社製ではない。
当時は今に比べるべくもないが、ちょっとしたサイクリングブーム、トーエイ社には注文が殺到し、今もそうだがずいぶん納期が長くかかることもあって断念した。

その後、大学に入ってキャンピング車をオーダーするときもアルプス・ローバーとも迷ったが、この時はトーエイ社にオーダーして作ってもらった。そんなわけでアルプスにはちょっとした後ろめたさのような思い出がある。

1970年頃は本格的なスポーツ車のフレームを作るビルダーは少なく、アルプスを初め、東京サイクリングセンターのゼファー、横尾双輪館のホルクス、山王スポーツのSANNOW、関西の城東輪業社のワンダーフォーゲル号(一部のみ?)など多くのブランド車の製造をトーエイ社が請け負い、TOEIブランドのオーダー車も作っていた。。
CHERUBIM ケルビム 今野製作所(ケルビンと言ってた?)はまだ世田谷で作り始めて間もなく競技用が主だし、神金のペガサスと市川のリバーワンはハトリ製作所だったか?エベレスト(エバレストと言ってた)はまだ梶原さんが独立する前の土屋製作所製だったのかな?

これらが本格的スポーツ車の全てではないが殆どだった。ケンコー号光風自転車や安全自転車などもけっこう本格的なスポーツ車を出していたが、60年代の終わりには無くなっていたはず。
三光舎も既になくプロキオンも70年頃には普通に売ってたけど殆ど見向きもされず、シクロ・ランドナーはそもそも手に入りにくかったが、もはや入手不可能に近く、こちらももはや欲しがる人は少なかった、というよりこんな古めかしくて大げさなものが使われたのは他に良いものがなかったからで、ユーレーのアルビーやルックス、サンプレックスなどが出回るとほしがる人は減った。

マスプロ車にもBSダイヤモンドや片倉シルク号など本格的なスポーツ車はあったが、やはりイマイチに思われた。これらは競技選手や日本一周する人など、マニアではないサイクリストが乗っていた。ロードは競技をやらない人は殆ど乗らず、ピストは選手以外には競輪好きドカチンのオッサンが真似事で乗ったりしていたくらい。今から思うとマスプロ車も、見た目はともかくたいしたものだと思うのだが。


今からは考えにくいが、ガードのない競技用自転車はどらちかと言えばガラの悪い人が乗るものと思われていた。これはエレキは当初、不良とされ、60年代終わり70年代初めには人気がなかったのと軌を一にしているようにも思われる。真面目が良いとされていた。


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前置きが長くなるのは爺の癖だ。しかも昔語り自分語り。マニアの人は許してくれるよね…

話は戻ってアルプスのこと。店の名前は上述とおりだったが、当時は萩原商店?会社はアルプス自転車工業株式会社ということになっていた。この辺の関係はよくわからない。
企画・開発からやっているので自転車工業を名乗るのも変ではないけど、フレームは東叡社製だし、なんと大げさなと思っていたが…

古いアルプス号もかなり多くが現存し愛用されているが、トーエイ社発足1955年以前のものは現存しないのではないだろうか??

ところが某所で古いアルプス号を見つけた!

ジャーン!

画像


撮影禁止とか書いてあるのは見当たらなかったので、スマホではうまく撮れないけど撮影しておいた。
某市立博物館にて。

廃車のアルプス号の頭部分を利用した、ゴボウノタキマキゲージ!

当時の自転車は水道管ラグ、エンドは潰し、クラウンはプレスの化粧カバーでごまかすのが常だったので、これはかなり手の込んだ高級車だとわかる。フォークの曲がりもキレイだ。

潰すのにも惜しく、このように改造して残したのか??
自転車を止めて種まき機となり第二の人生を送るようになったのもずいぶん昔のことだろう。今は博物館で静かに余生を過ごしている。こうなってしまったのも何かの事情があったのだろうか?でもある意味幸福な人生なんだろう。

画像


ALPSのヘッドマークはどこかで見た記憶のあるものと同じだが、フレームはトーエイ社製には見えない。
少なくともこちらの1957年製クラブマン・エースよりは古そうである。

ラグやクラウンを見ると、マルト号(東叡社の前身の丸都自転車製)と同じようにも見えるが?? 当時の汎用品だろうか? マルト製??あるいはこのフレームこそアルプス自転車工業製造!??
ドロップバーは鉄でアルミのフーデッドレバーの付け根も残っている。
いくらなんでも戦前のものではなさそうだし、昭和20年代の物と推定するが…
(アルプス自転車工業発足はいつだろうか?そもそもフレームから自製してたのか?)


最近は情報も豊富だけど、今はあまり関心がなくこれ以上のことは私にはわかりませんが…





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